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12/29
えーっと、4ステージ、終ったのかな?
まぁまぁなんとか本番は進んでいます、俺のオペも慣れてきた、といっても全く気は抜けない。
小ミスが頻発してしまう。自主練しようかなぁ。

とりあえず、楽日が売れています、多分年内には売り止めになるんじゃなかろうかという感じです。
都合合えばこれから予約する方は2,3,4日がお勧めです。

あー、そして、年越し公演が迫ってきました。
どうなる事やら。
えーと、まず言っておくと、アゴラ劇場は21:30を過ぎると、アンプを通してスピーカーから一切音を出してはいけないのです。なので、年越し公演は、のっけから爆音禁止です。
公演見られた方はわかるとは思いますが、まぁこれで音響使えなかったらどうなるんだ?という感じですが、まぁなんとか、します。

そして、年越し後、公共化後、ですが、まぁちょっと迷ってます。
せっかくだからこのまま変えずでも良いんだけどなぁ。台詞切るのももったいないし。
と言いつつも、3時間って、さすがに長いよね、とかね。

IMGP1004.jpg
「トウキョウソナタ」のあの道。アゴラ劇場から徒歩1分。


靖国の写真

IMGP1021.jpg
靖国です

IMGP1014.jpg
靖国の小学生

IMGP1032.jpg
どうなんだろうか、これ。

IMGP1033.jpg
怒られないのかなぁ。

IMGP1040.jpg
これはすごい。

IMGP1012.jpg
12/8の空。まぁいたって普通。


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日記が、もう、溜まってるというか、別に誰にも頼まれちゃいないんだが、溜まってるなぁ。
吐き出します。


12/6
覚えちゃいないよもう、稽古だよ、多分。
あ、思い出した、稽古場でみんなで映画を見ました。
おそらくアメリカ制作の第二次大戦のドキュメンタリー。いやぁ酷かった。
ベタな音楽で盛り上げまくる。
佐山さんは、途中からiPodで別の曲聞きながら見ていた。
みんなで感想をぶーぶー言い合う。


12/7
今日も映画を見る。今日は「靖国」。
これは面白かった。
「その人を知らず」に近いエピソードも出てきた。
みんなで感想を言って、稽古。


12/8
ジョンレノンの命日、そして、太平洋戦争に日本が参加した日です。
ということで、昨日の「靖国」から引き続き、靖国神社に行く。
初靖国公式参拝。

開戦記念日だけど、全然普通だった。まぁ終戦記念日だよな、さすがに、靖国は。
遊就館にもはいる。なんだかなぁ、ここで歴史学ぶとえらいことになるぞ。
まぁでも一度は行ってみる価値ありです。
売店で、軍服キューピーストラップとか売ってて笑った。
あと君が代Tシャツとか。

稽古は休みで、アゴラで青年団の忘年会。
でもほとんど事務所で仕事してて飲めず。


12/9
稽古。


12/10
稽古。


12/11
稽古。
韓国公演の打ち合わせとか。


12/12
キラリでキラリンクの集まり。


12/13
稽古。


12/14
もう稽古しかしてないよ、さすがに。


12/15
稽古。


12/16
昼間に、アトリエヘリコプターに五反田団の前田君と高校生が作った芝居を見に行く。
面白かった、すごいないわきの高校生。

稽古。


12/17
稽古。


12/18
昼間その人を知らずの稽古。
夜、韓国公演の稽古。


12/19
稽古。
多分この頃から毎日奉天餃子に行っていたと思う。


12/20
稽古。
奉天餃子。


12/21
稽古。
奉天餃子、か板橋の鉄鍋餃子。


12/22
稽古。
鉄鍋餃子。


12/23
稽古、最終日。
さすがに帰って仕事。
チケットとか当パンとか仮チラとか。


12/24
仕込み。
仕込む。
で、稽古。
で、アゴラ泊。
サンタは来ませんでした。


12/25
場当たり。
終らず。
恐るべし。

アゴラ泊。
夜中の3時とかに脚立に昇ったり、そんなクリスマス。


12/26
場当たり続き。
ゲネ?

本番1
なんとか出来た、よかったよかった。
上演時間はどうやら3時間弱。
一日二回公演とか無くて本当に良かった。
やっぱ一日一回公演が、俳優も集中できるし良いなぁ。
この戯曲普通にやったら何時間かかるんだろうか…

しかし、19時半開演は失敗したなぁ。
終ってトークして、23時って…。
しかも年内のトークは全部19時半開演の日だし。

アゴラ3連泊。

12/27
本番2
役者も大変だが、俺も大変。
さすがに今回のオペは忙しすぎる。アップが必要。
きっかけの前には入念なイメトレをしている。

さすがに家に帰る。
うーん、俺んち寒い。


12/28
本番3
終演後、舞台で韓国公演の稽古。
なんだよこのスケジュール。


韓国公演関連で、韓国から電話がかかって来まくるが、日本語が通じない。
「あなたの、ふところに、しんたい、ありますか?」とか言われる。
こっちはもう「モルゲッソヨ タシハンボン」としか言いようがない。
そして用件は、「舞台写真を送ってくれ」だったりする。
メチャクチャだなぁ。

とりあえず、アゴラ終って韓国終るまで2008年は終らないなぁ。
1月は、休んでやるぜ。

とりあえずは、「その人を知らず」どうぞ観に来てください。
3時間くらいありますが、それ位の感じの公演です。
よろしくお願いします。


「その人を知らず」初日が明けました。
なんとか、出来ました。
初日は、恒例のトラブルも、なんとか乗り越えた。
俺も出ちゃったよ。

いやー、やっと寝れますわ。でも今日も結局アゴラ、3連泊。
明日はマチネだけなので、お家に帰ります。

上演時間が、多分今日は2時間50分とかあった。
いつもの倍以上ですわ。まぁやってることも倍以上だ。
俺が筋肉痛になってます。

是非是非観に来てください。
ちなみに明日はすいてます。

なんか、クリスマスとかだったみたいですね。
クリスマスイブもクリスマスも、アゴラで朝まで悶々とするという、まぁ演劇人らしい過ごし方でした。
おやすみなさい。


告知その2
http://www.agora-summit.com/2008w/ws_senden.html

冬のサミットで宣伝美術トークに出ます。
フェスティバルディレクターとしてですが。
まぁちらしについても色々話せたらいいなと。
京姉さんの話がとても楽しみです、「紙」とか完全に宇野モンドさんのウィークポイント。

その3
あとは、あ、そうだ、川崎市WALKERという雑誌に、俺が載ってます。川崎出身な感じで。
川崎市以外で買えるのかわかりませんが、多分神奈川近郊ならあると思います。

その4
あとシアターガイドの、私の本棚、というページに載っています、本のことと演劇のことを話しています。
密かに目次にも写真が載っています。
写真は、近しいところからの反響が大きいです。その気持ちはわかります。

その5
あ、あとEnric Castaya氏の公演が来年アゴラ夏のサミットであります。
もちろん僕も関わっています。

最近は、稽古と打ち合わせの日々です。
もう初日まで10日。
いろいろ面倒なことがあってそれに一区切り付けたいなと思っていて、そういう公演なので、そういう風に出来るんじゃないかなぁと思います。

本番10日前にして、夏目が鼻声になっています。
多分風邪で一日は稽古を休むと踏んでいます。
まぁそんなのどうにでもしますが。

そんな感じです。

野球つくは、東葛スペクターズ、多羅尾伴内野球団、無事に2チームともメジャー昇進。
ただ、まぁ期待は出来ないなぁ。
特にスペクターズの方の四番が楽天磯部って…
まぁ岡田監督カードをもらったので、繋いで何とか…でもなぁエースがオリックス☆7平野ってなぁ…。



告知忘れてた

東京デスロック東京公演休止後第1弾。

1/9に韓国・光州で東京デスロック「LOVE korea ver.」やります。

「その人を知らず」終ってすぐ行きます。

今年の「演劇LOVE」 は「愛のハネムーン」です。
あと青森とかも行きます。


12/2 
稽古 

野球つく2周目第1ペナントが終る。
マイナー6位と、メジャー15位→マイナー落ち。
さすがにほったらかしすぎたな。
なんとか次で2チームともメジャー昇進といきたいところだ。


12/3
稽古


12/4
稽古はお休み。

冒険王二度目の観劇。
いやー、面白いなぁ。
二度目は、正面のベットの2段目で、黙って彼らを見ている気分で見てみた。
が、彼らの仲間に入れない疎外感で悲しくなったので、普通に見ることにした。
再演を見たときに、人の別れについて、とても考えたのを思い出した。
当時は、別れとか、死とか、そんな事ばかり考えていた。
今は、同じ作品を観て、移動とか、距離とかについてとても考えている。

野球つく第2ペナントが始まる。
マイナー1位とマイナー4位。
良い滑り出しだ。


12/5
昼に用事で制作の服部さんと銀座へ。
終って、お茶をしようと店を探すがなかなか見つからず。
結局ソニービルの3階のカフェへ。
入った途端豪雨。危ない危ない。
コーヒーは美味しかった。
服部さんの頼んだ美白効果のあるお茶はお茶の味がした。
銀座でその昔、5年間ものあいだ働いていた。
いろいろ懐かしい。
都内の色んな場所に、微妙に思い出が散在している。
駅のホームですら、色々思い出す。
今日のこととかも、そのうち思い出したりするんだろうか。
まぁ、無さそうだけど。
過去に日常だった場所、というのがミソだろうな。

稽古。
そろそろ俳優が揃わないとやることなくなってくるなぁ。
まぁでもやることあるんだけども。
ので、いろいろやる。
なんだかもう、人体実験かという感じだ。
でもまぁ、いろいろやるしかない。

レンタルビデオ屋が半額になってたので、借りまくる、が、CDは半額じゃなかったようで、結局すごい高くなる。



11/29
昼間は、何してたっけか、忘れた。
夜、稽古。

梅ヶ丘で飲む。30分に一品ずつしか料理が出てこない。
どうやらおやじが一人で作ってる。
塩焼きそばの味がない。
焼き鳥の盛り合わせは、2種類のみ、しかもネギマのネギが真っ黒。
ひでぇ。


11/30
昼、稽古。
大枠が見えてきた、見えてきた、というより、思いついたか。
いけるかなぁ。

アゴラで打ち合わせて、その後キラリで打ち合わせ。
松本の話など。

鶴瀬で飲む、終電を逃し、結局6時くらいまで飲む。


とりあえず、来年3月と5月の公演の諸々をなんとかせねば。
動き出さねば。
3月とか、もうチラシ作っても良い頃だ。チラシのアイデアはある。

12/1
鶴瀬から帰宅し、稽古へ。
なかなか良い手帳が見つからない。
年明けが、あり得ないことになりそうだ。



東京公演休止にあたって、東京以外の劇場とのやり取りなどが、まぁぼちぼちあったりするんだけども、
基本的には、公共ホールを中心に展開していきたいと思っています。
そして、色々話したりすると、「わかりやすい作品」という単語がちらほら出てくる。
「わかりやすい作品」をやってくれ、と言う事じゃなくても。

この「わかりやすい」について、もやもやがちょっと晴れてきた気がするので書き連ねます。

特に公共ホールでは、ホールの状況によって差はありますが、そこを無視できないのは当然なのですが、ようするに、「あまり観客から文句を言われない作品」という意味で、そりゃ税金で運営しているわけだから、市民が喜ぶ作品を上演するのは、当然のことなんですけども、多分、じゃないな、絶対に、今後戦っていかなきゃいけないのは、この問題になるだろう。

なぜ、文句を言われるのか?

「わかりやすい」とは何か?

「わかりやすい」絵画、「わかりやすい」曲、「わかりやすい」ダンス、「わかりやすい」映画、「わかりやすい」演劇。

そもそも、「わかる」とは何か?

(1)物事の意味・価値などが理解できる。
「意味が―・る」「音楽が―・らない人」「英語の―・る人」

(2)はっきりしなかった物事が明らかになる。知れる。
「真犯人が―・る」「答えが―・る」

(3)相手の事情などに理解・同情を示す。
「―・った、なんとかしよう」「話の―・った人」

(4)離れる。分かれる。
「八宗九宗に―・りてより/浮世草子・禁短気」

まぁ(1)か、物事の意味、価値が理解できれば良い、ということか。

ロミオとジュリエットを「だるまさんがころんだ」をしながら演ずるの事の意味、価値は理解しやすいだろうか。
マクベスを「椅子取りゲーム」をしながら演ずることの意味、価値は理解しやすいだろうか。
目隠しをしてトランスを演じることの意味、価値は理解しやすいだろうか。

多分、実際に観て、理解できるかどうか、というのは、おそらくほとんど問題じゃないのだろう、一般的な「わかりやすい」イメージというのが、多分あって、そこに当てはまるかどうかが全て。
そのイメージに当てはまらないと、100人が観て100人が理解しても、「わかりにくい」ということになるんだと思う。
逆に、「わかりやすい」イメージに当てはまれば、100人観て0人が理解しても、「誰にでもわかりやすい」作品です。
構造としては、放送禁止歌に近い。
禁止されそうな曲は、禁止されそうだから流さない。
誰かが文句言いそうな曲は、禁止されそうだから、放送禁止歌になるんじゃないか、おいおい、あいつ、誰かが文句言いそうな曲流したぞ、悪いやつだ、ほら、誰かが文句言いそうじゃないか、だれかが傷つきそうじゃないか、俺たちは、誰かが文句言いそうな曲は禁止するぜ、良い事してるだろう、だって誰かが文句言うのは悪なんだから、誰かが文句言うかもしれないことも、もちろん悪だぜ。

この「誰か」、とは、もちろん我々が、物心ついたときから、叩き込まれてきた「みんな」です。
「みんな」が嫌がることはしてはいけないのです。
「みんな」が嫌がりそうなこともしてはいけないのです。
「みんな」が喜びそうなことをやるべきです。
結果だれも喜ばなくても、「みんな」が喜ぶと思ってやったことは善行です。
だって「みんな」の事を考えることは、とても良いことだから。
「みんな」がやっていることはどんなに悪いことでもやって良いのです。
「みんな」がやらないことはどんなに良いことでもやってはいけないのです。

先日、電車の中で、ドアを蹴り続けている酔っぱらいが居た。
ドアはどんどんボッコボコになっていく。
車内の全員が注目している。
しかし、決して彼を注意してはいけないのである。
だって「みんな」注意しないのだから、「自分だけ」注意してはいけないのです。
「みんな」うるさくて迷惑しているけども、「みんな」我慢しているんだから自分も我慢しなくてはいけないのです。
そして、「みんな」で、この人迷惑ねぇ、という顔をして、「みんな」で「みんな」になるのでしょう。

そして「みんな」が理解していて「自分だけ」理解できない、という事はとても悪いことです。
逆に「自分だけ」理解できるということも悪いことです。
「みんな」同じじゃないといけません。
同じお金を払ったら、「みんな」同じだけ幸せにならないといけません。
不公平は悪です。
だから、文句を言われるのでしょう。

ピカソの「ゲルニカ」は、「わかりやすい」とも言えます。
見た人は、戦争の悲惨さを感じる、という風に決まっているからです。
学校でそう習いました。
「ゲルニカ」を見て、「みんな」が戦争の悲惨さを感じると先生は言っていました。
ピカソが戦争の悲惨さを伝えるために描いた絵なんだから、戦争の悲惨さを感じないとダメです。
作者の言いたいことを的確に理解することが正しいのです。
当時、教科書のゲルニカを見て全くピンとこなくて、後ろめたい思いをしたのを覚えています。
芸術家は、作品のテーマを的確に言えないといけません、インタビュアーは「この作品のテーマは何ですか?」と絶対に聞かなくてはいけません。
それを知らないと、間違えて作品を捉えてしまうからです。
「みんな」が作者の意図通りに捉えられないことは悪いことです。
「みんな」が「同じ」お金を払っているのです。
「みんな」が「同じ」正解を得られないといけないのです。

この「みんな」になることに夢中な人には、多分芸術は必要がないでしょう。
芸術は、この「みんな」から外れ、自分と向き合うものだと思います。

以前終演後に「私はこの作品が全く面白くなくて、見ていたお客さんもみんなつまらなかったはずです」と言われたことがある。
もちろん丁重にあやまりました。
そのお客さんにとっては、自分だけつまらなかったなんて事はあってはならない。
そして、「みんな」がつまらなかったものを見せた作者は悪人なので懲らしめなくてはいけないのです。

さて、ここまで「みんな」がまるで悪いことのような書きっぷりですが、「みんな」が悪いわけではなく「みんな」が「同じ」を求める、というところが問題なのだと思います。
対価として、「みんなが同じ正解」を得られる、という幻想が、それ自体は悪いことではありませんが、芸術に関しては問題です。
優れた芸術作品は「みんな」が「それぞれ」自分と向き合えるものだと思います。
そもそも「みんな」が「同じ」ように自分と向き合うことは不可能です。

しかし「みんな」が「同じ」状態を幸せだとさんざん叩き込まれてきたのに、「みんな」を気にせずそれぞれが楽しむ、なんて事を今さら言われても、困ります。自分が感じたことを楽しんで良いなんて、悪いことのような気がします。
これは我々にはしょうがないことだと思います、だって誰もそんなこと教えてくれなかったわけだし。
芸術鑑賞会では、作品のテーマは何だったか、作者は何を言いたかったのかを書かされてきたわけだし。
感想文は、自分の感想を書く為のものじゃなくて、良い感想文を書く為のものだったわけだし。


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うーん、この後1時間くらいかけて書いたことが消えたなー。最悪だなぁ。
まぁ思い出せる範囲で書きます。
===============================


全ての人に芸術を楽しむ権利があります、しかし全ての人が楽しめるわけでもない、と思います。
全ての人に「みんな」から外れる権利があります、しかし全ての人が「みんな」から外れて楽しめるわけでもない、と言うことなのかも知れません。

おそらく、これを読んでくれている人で、「みんな」が「同じ」を求めている人は少ないと思います。
そもそも、そう答える人は少ないのだと思います。
しかし、我々は集団になったときに「みんな」の呪縛にとらわれてしまう傾向があります。
もうこれは呪いです。

日本のお客さんが、作品がつまらなくてもなかなか途中で帰らないのは、劇場の構造の問題もありますが、この呪いのせいだとも思います。
「みんな」帰らないから。僕は帰って良いと思います。劇場は、「みんな」と「それぞれ」が同居する場所だと思います。帰るにしても「みんな」への配慮はもちろん必要ですけども、この配慮は「みんな」の日本人の良いところだと思います。

「わかりやすい」作品というのは、この「みんな」の文脈で作られているものだと思います。
多くの人が、「同じ」「正解」を獲得できるもの。
芸術作品が「みんな」から外れて、楽しむものだとすると、程度によりますが「わかりやすい」作品というものは、芸術作品とは違ったものなのだと思います。それが悪いものだとは思いません。
ただ、僕は、「みんな」の呪縛から逃れたいと思っているので、「みんな」の文脈で作られた「誰にでもわかる」作品は、それを楽しむことも出来ますが、あまり心動かされません。

「わかりやすい」のほぼ対極に「わかる人にだけわかる」というのも存在しています。
大抵悪い意味ですね。
これも、わかる=理解する、正解を得る。という、「みんな」の文脈で語られているのでしょう。

例えば、何千枚も絵をみている人が、今まで見たことのない「色」で描かれている絵を見たら、それはそれは心動かされる事でしょう。
初めて美術館に行った人が同じ「色」をみるのとは違う心の動かされ方だと思います。
しかし、その初めての人も、心動かされる可能性はあるでしょう。
そこに価値の違いはそんなに無いと思います。

しかし、問題は、心動かなかった場合、ですね。
簡単です、それは今のあなたには趣味が合わなかったのです。
どこかにあなたの心が動く「色」があるのかもしれません。
もしかしたら明日は心動くかも知れません。何度も美術館に通えばいつか心動くかも知れません。
でも今趣味の合わないもので無理に心動かす必要はないでしょう。
悪い意味で言われるのは、「自分だけ」心動かない、のが「みんな」の文脈だと悪いことだからです。
そもそも、心動かないと自覚できていれば問題ありません、「わからない」と感じてしまうことが問題です。
初めて触れるものに対して、自分は、これを「わかる」ことができる「みんな」の枠外にいるので、「わかる」ことが難しい、という思いこみもあると思います。
そもそも「わかる」為のものではないのですから「わからない」のは当然のことです、が、「わからない」理由は、自分が「みんな」の枠外だから、と誤解してしまうのです。
「みんな」の呪縛は、「わかる=正解を得られる」という幻想を抱かせます。
「みんな」から外れて自分の感触を楽しむ、という芸術鑑賞の楽しみを奪います。

我々は、心動かなかったものに、「わからない」と言い、「わかりにくい」というラベルを貼りがちです。
趣味が合わなかったとはなかなか言えません。
だって、自分がわからなかったものは、「みんな」もわからなくないと、もう気が気じゃありません。

そして、「わかりにくい」ラベルは、人々を幸せにします。
わからなかった人が「みんな」になれるのです。

「わからなかった」という人に、「まぁ、あれはわかりにくいからね」というのは優しさです。
「え、あれがわからないの?」というのは、「みんな」から追い出す死刑宣告です。
「みんな」は優しいので、だれかが「わからなかった」ものに対しては「わかりにくい」と言ってくれます。

よく、演劇初心者には勧められない、と言いますが、正確には「みんな」の呪縛にとらわれている人には勧められない、だと思います。

僕の作品は、「みんな」の文脈では間違いなく「わかりにくい」です。
当然です、そういう作りになっています。
「みんな」が「同じ」事を正解だと思わないように、作っています。
「わかる=心動かされること」ならば、できるだけ多くの人にわかって欲しいと思って作っています。
結果はわかりませんが、姿勢として。

ゲルニカはこんなのどう考えても「わかりにくい」でしょ。
ただ、ゲルニカは多くの人の心を動かしたのです。さすがピカソ、天才です。
しかし我々は、「みんな」の文脈での見方を教わってきました。でも芸術としての見方もできます。
それは、絵画は芸術だとも教わったからです。
「みんな」から外れて楽しんで良いんだと、「みんな」が知っているのです。
演劇と違って。

でも実際、観客全員が「みんな」の呪縛にとらわれている、ということもあります。
彼らには、「みんな」が「同じ」ように獲得できる「正解」を与えるべきでしょうか?
それが芸術活動と言えるでしょうか?
僕は、たとえ多くの観客に「わかりにくい」ラベルを貼られようとも、一人でも「みんな」の呪縛から逃れて、楽しんでもらう事が出来るならば、作品を上演したいです。という心意気です。
多分、「みんな」の「正解」を提示してしまうより、数は少なくとも、呪縛から逃れられる人を解放できる可能性は高いと思っています。
ぬるいやり方では、なかなか逃れられないと思ってます。

まぁでも実際は、「みんな」の呪縛を無視することは出来ません。

公共ホールではなかなか難しいというのも前述した通りです。

でも、公共ホールでやらなくてはいけないとも思っています。

全ての人に芸術を楽しむ権利があるのですから。

東京デスロックが、キラリ☆ふじみを拠点にしているのは、幸福にもそこを理解してもらえているからです。
でも、恐らくどこの公共ホールも、似たような悩みを抱えているのではないかなぁとも思っています。
どうでしょうか?


これは、国民性の問題でもあるので、本当に深刻です。

でも、戦うしかないのです。

共に戦う、とまではいかなくとも、同じように戦っている人達と出会いに、東京を出ます。


興味があれば、是非キラリ☆ふじみまで、戦い様を観に来てください。
個人的には、その姿を東京の観客に見て欲しいと思っています。
もちろん地方にも観に来て欲しいです。

「わかりやすい」でもやもやしていたのは
・わかる=理解する、正解を得る。
・心動かす
の二つを混同していたからだった気がします。

ちなみに、「呪縛」というネガティブな言葉を使っているのは、「みんな」の呪縛がかかっている理由は、我々がその状態だと、得する人達がいて、日本の外で、「みんな」が「同じ」じゃない事をウリにしているアイツらのせいじゃないかと思ってるからです。
優れた芸術なんか育ててる暇あったらお前ら働けって感じでしょう。



うーん、消えた分の3分の2くらいかなぁ。
まぁこんな感じで。

あ、そうだ、もう一つの問題は、ストーリー至上主義。
ストーリーがわからないものは、「わかりにくい」とされる。
ストーリーそれこそが、正解、とされている。
まぁそれはまたそのうち。



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