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「LOVE The World 2010」、2ステージ終りました。
残り3ステージ。少ないですが、観に来てくれた方が楽しんでもらえれば。

「LOVE」からは、大分色々進んだので、とても良かった。
ようやく完成、といってもまだこれから進んで行かなくてはいけないんだけど、一つの作品が形を変えていく一つの到達点だと思う。
「LOVE」は3部構成だったけど、今回は5部。
一つの作品が自分の変化と共に、ここまで付き合ってくれて、変化を遂げられることは、希有でもあるし、幸せなんだと思う。
自分の代表作、と言えるのはこういう作品だろう。

「人間」を取り扱う表現として、これまでデスロックやカステーヤさんがやってきた事が良いタイミングでひとつの作品になったかなと。

今回は、キラリの新スタートに立ち会いにという理由で来てくれている方が多い、んだと思ってて、とても嬉しいです。

自分の作品が、どう存在していくか、と言うことを色々考えてきたけど、今回の在り方というのは、本当に幸せだと思う。

個人的には、感慨深い、の一言ですが、感傷に浸るのは終ってから。

この作品が所信表明だと思っていただければ幸いです。

この先の未来、この作品がどう存在していくか、楽しみにして欲しいとも思ってます。
今回立ち会ってくれている方への、使命だとも思ってます。
そのつもりで作りました。

「LOVE」で言えば、作品としてひとまずのツアーの終わり、でもありますし、スタートでもあります。

近郊の方も遠方の方も、是非観に来てください。
年に1回来る方も、何度も来てくれる方も、同じくキラリ☆ふじみの観客なんだと思っています。

それぞれの中にそれぞれの感じでキラリ☆ふじみが存在してくれるとうれしいなぁ。


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明日23金より、ついに始まります。

************************
キラリと世界で創る芝居vol.1☆韓国
『LOVE The World 2010』

構成・演出/多田淳之介

出演/夏目慎也(東京デスロック) 間野律子(東京デスロック) 寺内亜矢子 山本雅幸(青年団)
オ・ミンジョン キム・ソンイル キム・ユリ チェ・ソヨン

日程/2010年4月23日(金)~27日(火)
4月23日(金)19:30
24日(土)19:30
25日(日)14:00△
26日(月)19:30
27日(火)15:00
△保育サービスあり。
※受付開始は開演の60分前、開場は開演の20分前。

*全ステージ終演後、多田淳之介がキラリ☆ふじみに縁のあるゲストをお招きし、アフタートークを行います。

Guest/23日(金)松井憲太郎(キラリ☆ふじみ新館長)
     24日(土)田上豊(田上パル)×畑文子(埼玉県立富士見高等学校)
     25日(日)出演者×北川結(モモンガ・コンプレックス)
     26日(月)岩井秀人(ハイバイ)×竹内萌佳(富士見市立西中学校)
     27日(火)出演者×野村東央留(陶芸家、キラリ☆ふじみサポート委員)

会場/富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ マルチホール
チケット料金/(日時指定・全席自由)一般 2,500円/高校生以下 1,500円

予約・問い合わせ
http://www.city.fujimi.saitama.jp/culture/

※10名様以上で同時購入の場合は、お一人300円割引。
※未就学児の入場はご遠慮いただいておりますので、保育サービスをご利用ください。

************************

『LOVE』も、ここまで来ました。
『LOVE』ベースですが、結構違う、というか、まぁかなり違います。
Worldですから。
2010ですから。

明日初日は少し開演前に話そうかなと、挨拶します。

お楽しみに。


まぁ毎日稽古です。
打ち合わせや諸々ありつつも、とりあえずは、稽古してます。

今日はとりあえず1回目の通し。

今回一番変なのは、台本を配る、というイベントが一度もないこと。
台本0ページで、通し稽古。
ついにここまで来たか。

台本ってなんだ?

進行具合は、月並みですが、さて、これからですね、といったところ。
まぁ韓国人俳優と日本人俳優とがどうとか、という次元ではなくなってきつつあって楽しいです。

今日の通しを見てくれた人の感想を聞いて、またいろいろ見えてきた。
ホント、人の感じたことを聞くのは大事。

自分としての、自分にとって必要なドラマトゥルグ(人)のイメージは結構あって、現場ごとに、そこを埋めてくれる対象を探している。
一人、とはいかないが、複数の人に対して求めて、統合して間引いて、間引く必要はないか、自分に落としている。

無意識に今までもやっていたのかも知れないけども、意識することは大切だと思う。

求めても、誰もいない環境、というのは、嫌だが、演出家はそういう環境で伸びる事もある。
でも、嫌だなぁ。
自分が作ってる、なんて、思うけど、思わない。
自分はフィルター、もしくは機構、変換機、ミキサー、であって、そこを通ってできたものは、そこに流れ込んできたものにかかってる。

どれだけのものを流すか(流してもらえるか)、に、かなりシフトしている。

特に今年の活動は、そういう風にしようと思って、した。



IMG_0350.jpg
キラリ館内にて。
就任チラシ拡大版。
怖がらずに近くで見てください。
この写真は近くで見ても怖いだけです。

「LOVE The World 2010」絶賛稽古中です。

さんざん各地で上演してきた「LOVE」ですが、なんだかこの公演のためにあったような気すらする。
多国籍で上演するために作ったわけじゃないんだけども、どうも、そんな感じ。
そのあたりを、グッと掴んで、遠くまでいきたい。


どうぞ宜しくです。
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=14506
http://www.city.fujimi.saitama.jp/culture/kouen/kouen.html


そうそう、二兎舎の「かたりの椅子」で、一番笑えなかった(つまらなくてじゃなくて)シーンがあって、
多分これは他の観客との違いが一番あったであろうシーンなんだけど、それについて少し。

ある芸術家がいて、彼が、椅子を作ってるんだけども、その彼が、椅子と会話をするシーンがある。

「そうかー、お前、丸くして欲しいのかー」
「よーし、じゃあ丸くしてやるからな」

台詞はうろ覚えだけど、こんな感じ。

客席は、大爆笑。

芸術家の良くわからない発言を上手いこと抽出した、良い台詞だと思う。
この作品の素晴らしいところは、こういった部分も、ちゃんと喜劇として完璧にできているところ。

でも、俺は全然笑えない。

椅子と会話すること、多分これは表現のかなり根本にある行為で、口には出さないまでも、日頃自分は戯曲と話していると言える。

「どうして欲しい?誰にどう発話されて世の中に存在したいんだ?発話も必要ないか?字幕の方がいいのか?」
「そうか、100㎏の重りを背負った中年男性が急な坂を登り切った後に、息も絶え絶えで絶叫されたいか、そうか」


というのがまぁ演出家の戯曲に対するひとつの接し方だろう。


話す、と言うと、では、「かたりの椅子」の彼に、椅子の声が聞こえているのかどうか?
俺に戯曲の声が聞こえているのか?
ここが結構重要なポイントです。

彼には、聞こえています。

おかしいと思いますか?椅子が喋るわけ無いですか?

じゃあ、相手が人ならどうでしょう?


A「私、パスタが食べたい」

B「そうか、じゃあ食べに行こう」


まぁこれは、問題ないですね。


A「私、パスタが食べたい」

B「そうか、じゃあお好み焼きにしようか」



これはどうでしょう、おかしいですか?
じゃあこれはどうでしょう。


A「私お好み焼きが食べたい」

B「俺パスタかなー」

A「私、パスタが食べたい」

B「そうか、じゃあお好み焼きにしようか」



これなら大丈夫でしょうか。行間を読んで下さい。
では、これは?


A「私お好み焼きが食べたい」

B「俺パスタかなー」

A「私、パスタが食べたい」

B「そうか、じゃあお好み焼きにしようか」

A「え、なんで?パスタで良いじゃん」

B「だってお好み焼きが良いんでしょ?」

A「いや、だから、パスタって聞いたら、パスタ食べたくなったの」
  
B「なんだよ、じゃあパスタにするか」


さぁ、Aが食べたいのはパスタでしょうか、お好み焼きでしょうか。

答えは、まぁ「わからない」ですね。
どっちとも取れますね、Bに気を使ってるのか、本当にパスタが食べたいのか。
話が逸れますが、これを上演する場合、どっちかにも、どっちとも取れるようにも想像させることができますね。
まぁどっちかにしか見えないなんてもったいないと思いますが。

さて、
我々のコミュニケーションというのは、ベースの部分に、相手の言動なりから相手を想像して、自らの言動を起こす、というやり取りがあります。

そのため、相手への想像力、というものが、とても大切になります。
コミュニケーションに関する問題は、ここにあることも多いです。
僕のWSでもよく取り上げる部分です。

相手の考えている事なんて、わからない。
この前提が大切です。

あくまで、自分の、想像にすぎません。
集められた情報から、かなり精度の高い想像も可能です、しかし、想像は想像です、本当にパスタが食べたいのかは、本人にしかわかりません。
「本当にパスタが食べたい」と相手が言ったところで、やはり言われた側が想像して、この言い方は、多分本当にパスタが食べたいんだな、と判断するだけです。

自分の事を相手がわかっている、もしくは自分のわかっている(と思っている)ことは相手もわかっている、という誤解が、種々のトラブルを生むことも多いですね。

相手のことはわからない、からこそ想像する、とも言えます。
わかり得ないことだけども、わかろうとする。
だから、伝わった(と思えた)時に嬉しいのでしょう。
とても素晴らしいと思います。人間って良いな。


さぁ、ではでは、本題に入ります。

私たちは、コミュニケーションをとるときに、相手の言動などから、想像して行動します。
相手からの情報を元に、想像して、行動します。

想像力、これが大切です。


芸術家の彼と椅子の話に戻ります。

椅子を見たとき、その色、形などの情報が彼には入ります。

彼は想像します。

「丸くするといいんじゃないか?だってこのヘリの部分、微妙に曲線を描いている、この曲線を広げていくことで全体のバランスも座りやすくなる。」

「このヘリの曲線、これは全体に広げて欲しいというサインだ」

「そうか、丸くして欲しいのか、よし、丸くしてやるぞ」


もちろんこれが、人対人のコミュニケーションと同じだとは言いません。
しかし、彼側の構造は同じです。
相手が人であれ、椅子であれ、キャッチした情報から想像するだけです。


芸術家とは、想像力に長けている人です。
しかし、ベースは、他の人と変わりません、誰にでも想像力はあります、ただ、長けていたり、独創的であるだけです。

WSでもよくやりますが、一般の人でも、想像力をもって、モノとコミュニケーションをとることもできます。

コミュニケーションとは、自分の想像の問題ですから。


恐らく彼は、椅子とのやりとりを声に出すことで、自分の想像力をさらに刺激しているのでしょう。
彼に起きている現象を、もっとも一般的にある表現で説明すると、椅子の声が聞こえる、という事になるのでしょう。
椅子と会話している姿が一般的かどうかの自覚に関しては、変人かも知れません。
自分が他人にどう見えているか、それよりも、自分の想像を膨らませることの方が優先されていても、それが彼の仕事ですから。
まぁ喜劇に出てくる人物ですから、それ位じゃないとね。


俺が笑えなかった理由は、椅子と会話することが、普通の事(一般的に変とされているとしても)に思うことができるなぁ、と、思ったからです。

で、芸術に対する理解はいつまでこういう感じかなと。

学校の授業では芸術の何を教えているんだろうかと。

僕のWSを受けた人は、彼の言ってることを理解までいかなくとも、どういう構造で椅子と会話しているのかは理解してくれると嬉しいな、とか。

芸術家が笑われて悔しい、とかでも、あんな風に描くのが酷い、とかまったく思ってないんです。
ただ、芸術家は、訳分かんない事言って、椅子と会話とかしちゃう、という変人扱いで終らせるよりも、
椅子と話すという構造をわかっていたほうが、おそらく芸術を楽しむには良いんじゃないかと思っています。

演劇を観ていて爆笑しているのに、芸術を理解しないこと、がその笑いを生んでいる、という所に、永井さんの言われる「背筋の凍る喜劇」をとても感じた。
もちろん大筋そのものが背筋凍りまくりなんだけども。
ほんと、良い作品だなぁ。


で、僕は、世の中の認識として、

『人は、椅子と話せる(笑)』

くらいになるといいなぁと。

僕が一般の人とワークショップをやり続けるのは、この辺りに理由があります。
コミュニケーションや想像力について関心を向ける時間を過ごしてもらうことも大切で、そして、同時に芸術への距離を近づけてくれると思ってやってます。

演劇のワークショップがコミュニケーション能力育成に役立つ理由の一つです。
僕は、芸術から、日常のコミュニケーションに繋がっていって、そこからまた芸術に戻ってこれる、そしてもっと近くに戻ってこれるようなワークショップをやっていきたい。

ただ、芸術家がこんなこと考える、必要は、ない、とも思ってる。

ワークショップなら、コーディネーターや依頼主が考えるし、劇場ならプロデューサーが主になって考えるだろう。
ただ、分業は、あまり創造的なことは起きない、と思ってる。
芸術家も考えているし、プロデューサーも考えているし、それでいいと思う。

芸術監督も考えてるし、演出家も考えてるし、プロデューサーも考えてるし、劇場職員も考えてるし、他のスタッフもみんな考えてる、自分の担当以外のことだって考える、参加していく、そうじゃないと楽しい事なんて出来ないとおもう。




不自然なガール。

>お義母様
大体真ん中にいる子が「あ~ちゃん」です。


4月1日に、正式にキラリ☆ふじみの芸術監督に就任いたしました。

かた苦しい話は抜きにして、と言いつつも、巷では劇場法をめぐって論争がおきています。
一応僕なりの見解を少し書きます。

僕は推進派です。
色々な立場で色々な考えや意見があるでしょう、いや、ないかもしれませんが。

僕としては、今までの環境は、相当悪かったと思っています。
恵まれているとは決していえないでしょう。
その恵まれているとはいえない環境の中で、皆知恵を絞り、少しでも演劇界、日本の舞台芸術界を良くしようと思って
皆やってきたんです。

劇場法、もちろん法律なんですが、どうもWEB上の意見など読むと、規制されること、現状からの変化に敏感になっている気がします。
まず、法律は、従うものではなく、自分達で運用していくものですね。
法律ができると聞いて、「何だよ、そんなの勝手に決められたら、今の自分達どうすれば良いんだよ。」
という感じの意見も読みました。
答えは簡単、考えて下さい、今までのように、知恵を絞って下さい、日本の舞台芸術界のために。

これだけ悪かった状況が、どうすれば更に悪くなるのか、僕にはあまり想像できません。
万が一状況が悪くなるとすれば、原因は、法ではなくて、人でしょう。

人材不足も話題になってますね。
そりゃあ、今はそんなにいないですよ。
当然でしょ、必要とされてなかったんだから。
必要じゃないものが増えるわけない。
だから、必要として、増やすんですよ、これから。

法律が出来ると聞いて、新しいシステムにはまらない事ばかりを想像して不安がって、というのは、とても日本人っぽい感じがして、まぁ嫌いじゃありませんが、いかんせん他人事、他人のせい、にしてませんかね。
新しいシステムに突然はめられることなんてありませんよ。
法律を使うのは、我々ですから。
今までも、散々知恵を絞ってきたじゃないですか、これからもそうしていきましょう。

僕は、劇場法は、劇場を、演劇環境を、自分達の手で良くしていくことのできるなる法律だと思っています。
今各所で論議されていること自体は、とても良いことだと思います。
もちろん、他人事のグチではなく、自分達で良くしていこうという方向で、に限ってですけどね。
聞きかじりで「平田案」とか言ってる人は放っておけばいい。

劇場法の話は、まぁこのくらいで、何かあればまた追って。

さて、で、まぁ就任したわけですが、今は「LOVE The World 2010」の稽古真っ最中です。
もの凄いチラシもあと数日で出来上がります。
もの凄いです。

2年前に初めて韓国で作品を作った時から、彼らと日本の俳優と一緒に作品を作れる日を夢見てましたが、叶っちゃいました。
このメンバーで新しい作品を作れるのは嬉しいし、楽しい。
日韓両俳優とも、自分とは作りなれているので、たまたま一緒にやりたい俳優集めたら日本人と韓国人だった、と言う感じ。
まだまだ稽古はこれからだけども、今のところ、とても刺激的で、良い稽古場です。

今日の稽古では、みんなで名作OASISを観る。
またもや地下鉄のホームのシーンで落涙。

花見もします。
この時期に花見もしないで稽古したところで、面白い作品なんて生まれるんだろうか。


先日二兎社の「かたりの椅子」も観劇。
とても良い作品でした。
永井さんは、芸術家としてとてもまっとうな闘い方をしていると思った。
上の世代の人達が、ちゃんと闘っている姿と言うのは、本当に尊敬する。
ほんと頼もしいです。


GK業は、さしあたっては作品作り。
キラリ☆ふじみの作品をどうぞご期待下さい。



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