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6/14
前日18時より本日11時まで作業。
しおり完成。

アゴラに寝床がなかったため15時からのMTは欠席。
この状態で2時間以上待つだけは無理。

帰宅して、寿司かって、ビール買って、食って飲んで寝る。

21時起床。きれいに12時間ずれてるな。2時に寝て9時に起きる。
昼夜逆なら完璧なのに。

アゴラに届け物をして下北へ。ドラマで漫画あさり。
最近自宅の漫画を読もうと思ったら、あまりにも重い作品しかないのに辟易して、軽い、楽しい漫画を買おうと思っていた。

結局買ったのがヤマタイカ全巻…重…数ある中漫画の中でも重…。
はじめの一歩にすれば良かった。1~40巻セットで5000円だったのに、相当お得。まぁでも続き67巻まで出るけど。
あー読みたかったなーはじめの一歩。

んで、帰って、料理して、飲みながらドッグヴィル鑑賞。

…うん、なぜこんだけ人に勧められたかわかった。

まず、面白かったです。
前情報ゼロで観れたのも良かった。
だってパケ裏には何も書いてなかったじゃん、あんな事。
そこ書かないかー。まぁ書いてあったかもしれないけど。

最初1時間はこの手法についてずっと考えてたな、さすがに。
まぁ演劇、と言われるのもわかる。というか、まぁ演劇じゃなくはないだろう。

演劇にフレームが与えられたようなもので、最初はそれが気持ち悪かった。
演劇慣れしていると、フレームの無さが気持ちいいのに、一見フレーム無しに観れるかと思いきや、さすがにそれはあり得ないわけで、逆にこれ3時間ヒキの長回しでやられたらたまったもんじゃない。
ヒキで見せるとこはほぼ無かったんじゃないか?多分拘った感じがした。

個人的に、今は嘘をつく事について考えていることが多くて、
その良い触媒にもなった。

リアリティというものを維持するために、演劇は目の前の俳優の体というのが最大の武器であり、それを駆使すれば、多分なんでもできると僕は思っていて、物語、じゃなくても映画、演劇にはそれがないといけないとも思っている。
もちろんそれはいかに現実っぽいかという尺とは全く違う物だけども。

で、ドッグヴィルだが、物語を運ぶ手段、人間を浮き立たせる手段としては、この手法はそこまで有効ではないと思った。
ただ、監督が恐らくやろうとした事、観客を揺さぶる事だと思うんだけども、もしくは監督自身の揺れがまぁダンサーインザダークにしても作品の衝動ではあると思うし、そういった方向としては大成功だと思った。

あ、あのナレーションとチャプター分けももちろん良かった、あの長さだし、でもあの長さも必要だし。でもそれもやはりオチで絶大な効果を見せたなぁ。

ラストと、その後だとおもいます、やっぱり。
ラストシーンをどう思って、その後の、アノ人達をどう見るか。
というところの揺さぶりは素晴らしい。

町の人々への観客の思いを、逆に観客自身にぶつけ、さて、我々も人間ですけども、どうしましょうかね、という感じかなー。

回りくどいな、見てない人は読まないでください。
100パーセント面白みが減ります。

さすがに町の人々への共感と苛立ちで、まぁそれだけでも十分揺さぶりにはなってるんだけども、だったらあの手法じゃなくて普通に撮っても良かったわけで、じゃあなんであんな変な撮り方したのかっていうと、やっぱ最後の写真じゃないかなと言う気がします。
あと話の内容からして、記号的にすることでの観客の逃げ道ってのもあるだろうけど、あと俯瞰性とか。

町の人への観客のどうにもならない思いは、ラストでなんとか昇華されたと思います、賛否は別にして、あの決断をしたことをどう考えるかという課題に移行できるので。
まぁ大体賛同するんじゃないかな。理解はできるでしょ、さすがに。

車での会話は、ちょっと象徴的すぎるけど、あれくらいの強引さも良い、あきらかにリアルではないけども、あのセットだもの、会話がリアルじゃないとか言えんだろう。
車内なので、画面的にリアルになっちゃうからちょうど良いんじゃないかな。外よりも。多分そういうつもりだろう。

んで、最後ですわ、もう笑うしかないですよ、あれは。
まず、みんなキャストに似すぎ。どんだけだよ。
観客を、町の人と同じように自分も「人間」だと納得させた直後に、じゃあこれどう見ますか、という、完全にこの映画見る前と後じゃ見方違うでしょ、という、さて、んじゃどうしますか?というね、写真というまったく別ベクトルのリアリティでつきつけるみたいなね、さすがに面白いです。

これだけ記号的なリアリティで観客を納得させといて、さいごそこついてくるか。

記号的というのは、まぁ目の前にあるものが本物ぽいかどうかではなく、断片的な情報によって観客が現実に置き換えれるか
、現実を映し出せるかと言うことのつもりで言ってますが、この悪条件で観客ががんばってその作業したのに、写真かよ。
まぁ正しいんだけどね。
ふつうならその現象は映画館を出た後にそれぞれに起こるはずなんだが、エンドロールでやるところに、ダンサーインザダークを撮った奴だなーという感じがした。
全然それで良いんだけど。

はい、面白かったです。
さすがに人間って醜いなとか、でも愛らしいとかは思いません。
人間の醜悪さを見せるだけで留まらなく、その後観客が下すであろう判断を作品内で下したことが、一番の僕が面白かった所です。そうしないといけないよなー。
観客はそこまでしないと分からないって感じがして良かった。
ダンサーインザダークをつくった後に思ったのかな、これでもこいつらダメかとか。
あれでも、人間ってどうする?とまでは行かないんですね、ってこれ見てわかったけど。
まぁこれでも行かないんだろうけど。

まぁ酔っぱらってるのでダラダラ書きますが、そんな事は監督は考えて無くて、ただ衝動があるから作ってるとは思うけど。
観客はそんなことはどうでも良く、監督もそんなことはどうでも良く、その幸せな関係が続くことが、映画とかを見る楽しみですね。

真実は目の前にはない、という事は考えて撮られていると思いました。
その点において、完全に演劇的な作品だと思います。

観客の目の前で、照明を浴びて、憶えた台詞を言って、何がリアルだと。
嘘をいかにつくかを考えるのが楽しい今日この頃です。

全然関係ない話だが、どの現場でも、この台詞は言えない、とか、この流れだと言えない、とか、よく俳優は言います。
その感覚は僕にもとてもよく分かります。
ただ、正確には、この流れだと、自分の言いたいように、言えない、です。
だれもそうは言いませんけど。

自分は演出家の意図に合った中で、自分の言いたいように台詞を言いたい、というのは悪いことではなくて、そのモチベーションがないと、むしろ作品を作る意味がないんですが、その点を意識できているかどうかは大きな差があると思います。

ので、言えない台詞はない、が、俳優が言いたくない台詞はある、と言うのが僕の持論です。

ただ、言いたくないまま言わされる、と言うのは、ダメです。
何のための稽古だか。
まぁ俳優にとってもそれは、言いづらい台詞となるので、ここ言いづらいんですけども、という話になる。

そういうときは、んじゃあ、こうしたら言える?となるべく具体的な刺激をつかって言いたいように言えるようにしてみます。
単純に、言う前に一回ポケットに手を入れて、とかでも十分です。

基本的にやってること全て嘘なので、やる方も、現実的な要素を利用しないと大変なんです。
これは僕が俳優をやるときの持論ですけども、現実を触媒にどれだけ嘘をつくかって事です。

んで、この前の「3人いる!」は、いつもより大きな嘘をつかなくてはいけない上に、触媒となる物がいつもより少ない、というメチャクチャやりづらい状況だったんですが、まぁ何とかやってみてわかったのは、俺たち何でもできる、と言うことです。

流れとしては、80年代に破綻の演劇があり、リアルな演劇の時代が来て、そしてまた破綻の演劇の時代が来そうですが、僕たちはラッキーで、リアリティを手に入れた後の破綻ですからそうとう何でもできる。

それと同じように、元々もっている映画のリアリティがあって、それをふまえた上でのあの破綻の手法、と言う点でも、ドッグヴィルには演劇を重ねて見てしまいました。

ちなみに僕は理屈をこねるのが好きなので、理屈っぽい作品が多いです。
今までは特にそうでした。
腕組みをして、よし、という感じだったんですが、「別」からちょっと変った気がします。
「3人いる!」もそうでした。
作品が、自分の理屈だけに収まらなくなってきた感じがしています。腕組みしてる余裕はないですね。

理屈が追いつけなくなってきたのか、それは自分の力が足りないってだけなのか、単純に忙しすぎるのか分かりませんが、自分にすらよく分からないものを作る感じかなぁ。
ので結構楽しいですね。

と、いうことで、次回作もお楽しみに。
次は出ないので自分も観れるから楽しみだ。




















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