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恒例の解説です。


まず今回はアトリエ公演でした。普段の作品とは全く違う作品です。
普段は稽古をしている場所に、お客さんを招いて公演を打つ、というつもりです。
ので普通に劇場に来る感覚で観に来られた方がどう思うかはよくわかりません。
そのつもりでチラシも作ったんですけどね。

わざわざ劇場での作品ではなく、アトリエまで足を運んでくれたお客さんを歓迎しようと、まぁ演劇を楽しんで貰いたいというのもありました。
普段は、この作品で楽しんで貰える人に楽しんで欲しいと思っていますが、今回はできるだけ来て貰った方には楽しんで欲しい、という違いがあったので、そこは大きかったんじゃないでしょうか。

アトリエ公演の定義ですが、作品と会場の関係の一つだと思っています。
アトリエは普段は創作の場であり発表の場ではなく、ただ、そこで公演を行う事で、創作と作品の地続きな関係ができると。
普段は作品を創作して、上演会場との組み合わせで一つの作品になるわけです。例えば東京ノートをアゴラで上演するのと東京都現代美術館で上演するのは違うみたいな感じです。
アトリエ公演も、その組み合わせの一つで、創作の場での発表を前提とする事での創作の自由度が特徴的な組み合わせだと思います。

トークでも話しましたが、普段は見せない段階も見せた、と言うのもあります。
普段だったら多分のっけから空気椅子です。そこの勝負は今回はいらないな、というのもありました。
それよりも創作の過程も作品にしたいなと、普段だと創作と作品はまた別というか、創作の過程なんて作品とは関係ないので。
稽古場も完全公開にしましたが、どうせなら毎日誰かに見られてる位の方が良いんじゃないかってのもありました。
恐らく稽古場見学に来ていただいた方は本番の楽しみかたもまた違ったんじゃないかと思います。
もちろん稽古で全ては見せないですけど。やろうと思っても見せれないですけど。

全体的なテーマは、人類の知的欲求と、観客の観劇時の欲求がメインだったと思います。

・冒頭
僕がロボになるのは、三条会へのオマージュです。
あとはPC屋のシーンへの布石です。
僕の座り位置は、舞台中央→ブース横→客席と日ごとに変わっていきました。
まぁPC屋のシーンとしては客席に落着いて良かったんじゃないでしょうか。
あと、演出家の顔色が観客にわからない、という後付の効果もありました。
観客とのキャッチボールは、お楽しみの始まりというのと、その後のシーンでキャッチーボールをする村井(バカな方)と、観客をかぶらせたかったという裏の意図もあります。


・シーン1「アルジャーノン」
「アルジャーノンに花束をって知ってる?」という台詞から始まります。
この時点で、知っている観客と、知らない観客に2分化して欲しくてそうしました。
キャッチボールをする、なんて事はもちろん台本には一言も書かれていません。今回はト書きは一切無しでした。

特に場所の設定も何もありません。会話のみです。
そうなってくると、身体とコミュニケーションしか残らないので、その辺りで遊んでみました。
あとコンピューターとの対照もあり、キャッチーボールにしようかなと。
まだ機械には今のところはできない事なので。
まぁ絶対に同じ所にボールは行かないので、身体が間違いなくその場で反応している、と言うことと、それでも同じ会話を成立させる、と言う辺りが、僕は面白かったです。
決まった動き、決まったタイミングで台詞が言えない、というのも良かったんじゃないかと思います。

知的格差を身体的にわかり易くというのもありました。
まぁ稽古では他に村井を叩き続けたりとかもやりました。

あらすじのシーンは、これも対コンピューターというのと、最後のエアーのシーンへの繋がりでああなりました。
俳優には一息で読もうとしてくれ、と指示。
アルジャーノンを演劇でやるなら僕はこのシーンだけで十分です。
バカが踊って、利口が照らす。物語の内容もわかるし。
こういうのをやると、ク・ナウカってすごいなと思っちゃいますね。


・シーン2「秋葉原」
まぁPC屋です。
パソコンの知識、というのは、僕は結構重要な事だと思っていて、まぁ別にPC使えないのが悪い事ではないけども、最早メールできない人っていうのは、電話の使い方がわからない人に近いんじゃないだろうか、まぁ洗濯機より手洗いが好きなら全然それで良いんだけども、メールできない人側からすれば、メールできる事なんて全然重要な事ではないだろうけども、時代に取り残されている事にはもっと自覚的になった方が良いと思う。
今の小学生は全員メールできるわけだし。ネットもする訳だし。

英語に関しても、世界の共通語であるにもかかわらず、中学から教育に組み込まれているにもかかわらず、日本人の英語のできなさは結構深刻なんじゃないかと思ってます。
そりゃなめられるよ。日本人の世界的な地位は、英語が話せれば大分違うと思います。
アメリカの言葉、とか言う事はもう諦めよう。世界の共用語だもの。

ので、その2種類の知識の差を使って作りました。
これも完全に2分化を狙ってます。
「それにはマックは付かないんですよね」
で笑えない人もいるんです、実際に。
観客の知識が少し増える演劇、というのもありましたね。おふざけですけど。
知についての演劇とも言っているので。
多分PCに詳しくなくて、英語ができる人は爽快だったんじゃ無かろうか。

あと、英語のわからない日本人に、英語を理解できる喜びを擬似的に体感して貰いたかったという狙いもあります。
日本人向けの英語劇。
英語の台詞は、松田弘子さんに翻訳して貰いました。松田さんは普段から翻訳の仕事もしているエキスパートです。
店員はあんまり英語が話せない感じで翻訳して貰って、それに僕がまた手を加えて、という感じで作りました。
(英語で)という括弧書きがあるメチャクチャなテキストになりましたが、少しだけ英語で台詞を書くと言う事もしたので、なかなかいい経験でした。
英語ネイティブな外国人のお客さんがバカ受けしてたのが面白かった。まぁでも日本人って実際あんな感じなんでしょう。

あのシーン面白かった、と言う人が一番多かったシーンですが、実は、英語がわかるともっと面白い。
ギャグ言ってるのに完全にスルーされてたな。
もちろん外国人はそこで爆笑してました。
英語のできない店員を笑いつつ、実際意味がわからないところはスルーする日本人、というのを意識してくれる人がいると嬉しいです。

テキストを書いた時点では、その二つの関係の逆転と言うところだけで、客席を作ってからあの演出に変わりました。
僕としてはあれは客いじりではありません。
たまたま、演技の対象の先に客席があっただけです。
と言う事にしてあります。


・シーン3「ISP」
まぁコントコントと言われますが、好きにカテゴライズしてもらって結構です。
テキストがあって俳優がいれば僕はそれでいいので。

何でISPでシーンが展開していくかというのは、まぁ略語なんて、正に知ってるかどうか、というモノなので。
ISPで働いている人は、ISPと聞いたらまずISPと思うわけです。
この文章だって、ISPの人はISPの事だと思うし、ISPの人はISPだと思うわけです。

池袋サファリパークを発見したときは嬉しかったな。
世界中のIで始まるサファリパークを探した結果、こんな近くにありました。

あとこの連続するシーンだけ、アルジャーノンからのエピソードが出てきます。
コントと言われながらも、実は一番アルジャーノンでした。
読んだ人にしかわからないと思いますが、まぁもしこの公演のためにアルジャーノンを読んでくれた人がいたならその人達へのサービスでもあります。
読んでたからわかる、知識があるからわかる、という喜びを感じて貰えたら嬉しいです。
知識のない人はただ笑ってればいいんです。

爆笑する二人のシーンは、そんな笑ってるだけの人たちが観ているただ笑っている人たち。でも人は笑ってれば良いと思います。


・シーン4「SF夫婦漫才」
このシーンは苦労しました。
なんでこんなテキスト書いたんだろうと自分を恨みました。
どうやってもクサイ、説教臭いテキストで、一時はまたもや造語の方言を作りかけた程でした。
筋トレをしながらやったりとかしてました。
稽古でとりあえずニセ方言でやってもらったら、面白かったんですね、なまってる人が先端科学の話をするのが。
完全な差別ですが、まぁ思いっきり差別しないと差別の事は考えないだろうというのもあります。
もちろん全然石川県の言葉ではありません。
ベタなニセ方言から入って最終的にはイントネーションをメチャクチャにして、テキストだけが耳に入ってくるようにしました。

漫才のように見えますが、実際二人はテキスト上でしかコミュニケーションをとっていない不思議な関係が、ベタベタなSF照明と微妙なマッチングをしていて僕は好きです。
機械から観た人類はこんな感じじゃないかというイメージです。

あとは、観客に僕の演劇をどう見て欲しいか、と言うシーンでもあります。
まぁ観察して、人間ってなんだろう、という風に僕の演劇は観て欲しい、と言う事ですね。


・シーン5「モノを作る」
まぁぶっちゃけここから本編。
「2001年宇宙の旅」の冒頭に近いイメージです。
人が、道具を使って、モノを作る、というのを観察してもらいたかったので。
あのラジコンのプロポは、実際にプロジェクターの目隠しを作動させるために青年団の海外公演でも活躍しているモノです。
テクニックとテクノロジー。
これが本公演なら1時間くらい延々何か作ってるんじゃないかな。


・映像
オープニング映像を後半にもってくるというのは早々に決めていました。
撮影したのは初日の4日前くらいかな。まぁ映像は大体いつもギリギリで作るので。
まぁでも撮るモノと構成は決まってたので楽だった。
まさかISPがあんな所にあるとは思わなかったけど。さすがに見付けたときはテンション上がった。
公演に出れなかった夏目にも可哀相なので出てもらう。
ちなみに僕の家です。フェレットの名前はジルベールです。もちろん風と樹です。


・wii
いやー手に入れるのに苦労しました。結局ヤフオクで購入。
wiiを使うのは早々に決まってました。
稽古見学に来てくれた人たちのおもてなしとしても大活躍。
面白いですよ、wii。本当に筋肉痛になります。


・シーン6「エアー」
機械が人間だけを見たらというシーン。
人間の身体と想像力が浮き立って見える、と言う事です。
機械には無いものばかりですから。
完全素舞台での演劇もいいですね。
そのうちやるかな、やんないかな。


・シーン7「COEXIST or FIGHT」
映像の最後のこのフレーズ。
恐らく観客の大半は意味わかんなかったと思います。
もちろんわからないだろうと思ったからそうしたんですけど。
最後に重要っぽく出てるけど、単語の意味がわからない、とか思って欲しかったんですね。英語わかんなくても生活できると思ってたツケみたいな感じで。
意外とわかるのかな?coexist。
僕は客だったら全然わからないです。
まぁ共存って意味なんですけども。U2のパクリでもあります。

今回コンピュータと人間の関係を考えた1つの結論として、共存と戦いと言う事にしてみました。

そして、人類とは何かという点でも共存と戦いだと言う事にしてみました。この矛盾を完全に内包してるのが人類なんじゃないでしょうか、これ機械に理解できるかなー。

今一伝わらなかった感がありますが、観客=コンピュータ、観客に向かって戦う事=コンピュータとの戦い、wii=共存。
とかいうイメージの集合です。
でもシャドーボクシングに見えちゃったみたいですね。
観客はやはり安全に見るもんなんだなと思いました。
殴ったりすれば良かったのか?まぁ無理だけど。

あと、曲がYMOの原曲だと思ってる人が多くて結構ビックリした。全然違うのに。
ファンタスティックプラスティックマシーンのリミックスです。

で、YMOをメインに使ったのは、コンピューターと音楽の出会いと言う事です。
コンピュータと音楽、しかもダンスミュージックが出会った、と言う事は相当な事件だと僕は思っているので。
肉体いらないの?という戦いと共存の始まりです。
最近出たライディーンの新バージョンとかは、コンピュータミュージックと人間を考えさせる感じです。

そしてロボが照明、音響のオペレーションに回ります。
動かされる身体達。
ロボがオペするコンピューターミュージックで踊る人たち。
機械を使って楽しむ人たち。

今回ブースを舞台上にして、オペレーションを俳優にやらせたのは、まぁ人が道具を使う様を舞台上に上げたかったと言う事です。

・シーン8「追加されたラスト」
このシーンは公演途中から追加しました。
踊ったり殴ったりして疲れた人間を、ロボットがムチ打って働かせる。
でもそのロボットは疲れていく。
中身が人間だから疲れるのか、それとも機械が疲れを手に入れたのか。
機械は人間なのか。というまぁ伝わりにくいメッセージのこもったシーンです。
演出家がサディストだと言う事は伝わったようです。



とりあえず、まぁこんな感じで。書き殴りですけど。
毎回解説は書くようにしていますが、僕はこれを伝えたくて作品を作っているわけではないです。
聞かれたときに答えられるように全てのシーンには理由があります。よくわかんないけど面白いから、という作り方はあまり興味ないので。

ただ、重要なのは、僕は色々な理由があって作ったシーンですが、それを見る人達は自分の生活とか考え方と照らし合わせて、個々それぞれの印象を持ってもらえればと思っています。
まぁでも正解を知りたいと言う気持ち、知的、かわからないですけどもそう言う欲求もあると思うので、解説を書いています。

ちなみにある方は、ラストシーンを見て、こんな感想を抱いてくれました。
『最後のシーンでムチをふるうロボットは、あれは実はコンピュータ達から見た人間の姿である。人間だって、自分達を作った創造者(神)は自分に似た姿をしていると考えた。で、そうは言っても、神の姿が、背広やジャージを着ていると想像する人は少ない。やはり、何かしら古めかしい、古代の衣服をまとっていると考えると思う。人間が神の本当の姿を知らず、そして神を実際に見ることができないように、コンピュータも、自分を創造した者の姿は知らない、あるいは見えない。だから、ムチをふるう創造者の、そのムチの痛みだけはかすかに感じるが、その姿は彼らには見えないのだ。そして、コンピュータ達が思い描く創造者の姿は、自分たちに似て、しかし、大きな四角い箱のモニタと、平べったくて大きいキーボードを備えた、とても古くさい姿なのである。』

あのラストシーンはこういうシーンなのか?と聞かれたら、僕はそうですと答えます。
ただ、あのラストシーンはこういうつもりで作ったのか?と聞かれたら、違います、と答えます。

表現とはそう言うものだと僕は思ってるので。

まぁ他に僕に聞きたい事があれば何でも聞いて下さい。
全く活用されていませんが、密かにこのブログにメールフォームもあります。
あ、あと重要な事ですが、今回はアルジャーノンの他に、J.Pホーガン「未来の二つの顔」、レイ・カーツワイル「スピリチュアルマシーン」を参考にしています。

今回の公演でやった色々な事は、今後の僕の演劇で形を変えて出てくるとは思います。
身体にしても言語にしても。
そのままは出てこないでしょうけども、今回観に来てくれた方の方が今後の僕の演劇は楽しめる感じになったらいいなと思っています。
わざわざアトリエにまで来てくれたんですから。
今後春風舎での色々な公演にも来て貰えると嬉しいです。

次回のデスロックは再演ですが、過去に1度再演と言うモノをした時は、台詞を全て造語に書き換えたので、まぁ次もどうなるかはわかりません。
どうか楽しみにしていただければと思います。

ではまた。


















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