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恒例の作品解説です。

まず、今回は3年前に上演した『ソラリス』のテキストを使って新作を上演する、という事でした。
かねがね、戯曲のタイトルが公演名にならなくても良いんじゃないかと、同じテキストを使っても新作と言って良いんじゃないかと思っていたのでそうしました。

そして、演出家の仕事の一つは、戯曲から何ををどう表出させ舞台上に再現させるかだと思っています。
例えば「ロミオとジュリエット」をどう演出するか、ということですね。
最近は作・演出家のあり方について考えることが多く、そして自分は演出家だと思っているので、そういった仕事の仕方をしていきたいと今は考えています。たとえ自分の書いた戯曲だとしても。
CARAVAN版ソラリスの映像を流してたのもそんな理由からです。

今回僕は演出家として面白い戯曲だなと思ったので『ソラリス』を使うことにして、しかしこの戯曲は広く世に広まっていない、のでチラシに載せて少しでも観客に広めよう、と言うことで、チラシに全文掲載となりました。
そしてやはりそんなに戯曲読んでこられる方もいないので、前説でストーリーを説明(二日目から)し、映像でも説明をしました。
初日も、あらすじ説明はするかしないかと言う話にはなって、でもまぁ大丈夫だろうと思ってたんですが、初日のトークで戯曲を読んでる方も、映画や小説を知ってる方も少ない事が判明したので二日目よりやることにしました。
やっぱりなかなか戯曲を読むという事には慣れてないのか。読んできて欲しかったんだけどなぁ。

そんな意気込みで作ったのが今回です、では演出について。
まず、この戯曲から抽出させたかったものは、まぁズバリ「絶望」です。
「ソラリス」ですから、絶望なくしては始まりません。人類が絶望する話ですから。
あとは、「偽物」というところ。

では絶望を抽出するために、僕が採った方法は、俳優の身体を絶望的状態にし、その身体からテキストを発してもらうというモノです。まぁ恒例の「疲れ」ですね。
では僕が使いたい絶望にある身体をいかに作るかということですが、俳優には、例えば「この芝居を何日もループで続け、いつ終るかはわからない、終らないかも知れない、という状態。そのうちの面白かった1ループを観客に見せる。」という感じに近い。と説明してあります。
ただ、本当にループしていると言うことではなくて、あくまで僕の求めている身体の状況がたとえるならそう言う状況の身体に近い、と言う事です。

そして、ここ最近の公演で多用している「疲れゆく身体」ですが、もう実際疲れゆくのが面白いのはわかったので、今回は、偽物の疲れを使うことにしました。本当に疲れてばっかりもいられませんし、いつまでもそんなことに拘っているのは面白くないので。
その疲れている(様に見える)ネガティブな身体から、ポジティブなイメージを出す、今回はそういう作業です。
『再生』の3週目をテキストと物語をつかってやってるようなもんですかね。ただ違うのは、リアルに疲れているのではなく、リアリティのある疲れた演技を目指す、という、リアルよりリアリティって事ですね。

OP曲はまたもやザ・ハイロウズで『14歳』
ラストはswing slowで『CARAVAN』です。

具体的に稽古でやっていた作業は、30秒くらいのシーンを僕が止めるまで延々繰り返すというモノ。30分でも1時間でも。
ただ、役を演ずるのではなく、役を演じている人間、を演じてもらう。
相手が台詞を間違えたら笑うし、ふざけた言い方をしたら反応し、テキストを使って、物語とは違うコミュニケーションをとってもらう。
ひたすら繰り返し、俳優が疲れてテキストから逃れて自由になる瞬間を待ち続けるという地獄っぽい作業。

なので、俳優は、実はケルビンやスナウトを演じているのではなく、それを演じている男1、男2を演じているのでした。
男1、男2は、気まぐれに物語上の人物をきちんと演じるが、気まぐれに棒読みになったり、自暴自棄になり水に飛び込んだり、叫んだり、動かなくなったり、するわけですね。
なので俳優は、ケルビンがどうとかスナウトがどうというきっかけで演技しているわけではなく、たまたま219ループ目に、男1が全然動かないで台詞をぼそぼそ言い出したのに刺激され、男2がいたずらに台詞を大声で言ってみたり、水をかけたりしているわけです。

これは観客には伝わらないことで、それで良いと思ってます。
ただ、僕がそれを構成していって、たまたま男2の気まぐれな大声が、スナウトの憤りとシンクロした、で良いわけです。
見た目にはスナウトが大声出してるようにしか見えませんから。
コミュニケーションよりも、テキストの表現に寄ったやり方だと思います。
基本的にはこの方法で全体が構成されています。
育毛のシーンでハリーが棒読みから突然笑い出すシーンも、女1が、「あーこんな大事なシーン棒読みで言ってるなぁ、私」と思って、だんだんおかしくなってきて笑っている、という風に作ってあります。
が、その流れとテキストをシンクロさせて、舞台上にはハリーが自分の存在に思い悩んで、ケルビンに悩みを打ち明ける切なさを表出させたかった訳です。
この方法は、あくまで僕が俳優の身体から表出させたいものを俳優にやってもらうための、あくまでガイドであって、僕のイメージ通りに棒読みから笑ってもらうには例えばそういう流れ、と言うことです。
実際俳優がどうやってたのかはわからないですけども。

「棒読み」と一言に言っても、なかなか豊かな表現だと言うことが今回チラッと見えた気もしました。俳優にとっては嫌かも知れませんが。

もちろんかなりの意味不明な突発性をもったシステムなんですけども、その辺の不明さ、わからないもの、を表出させたいということでもあります、わからないけども変な説得力が生まれたりとか、そのアタリを構成したり、しなかったりしてるので、観客には相当な負荷がかかってしまうんですけども、今回は何せソラリスですから。
頭フル回転で観て疲れていただきたい。フル回転の結果、何かが伝わるようには心がけたつもりです。

先程『偽物』と書きましたが、こんなスナウトの台詞があります。
『偽物だとわかっていればリアリティのある偽物に見える、知らなければ本物に見える』
これは、ハリーを偽物だとわかっていても愛してしまうケルビンという関係をその後言い表す台詞です。

今回は、いわば偽物の演劇を作ったとも言えるかも知れません。
偽物だと知らなければ本物に見えてしまう訳ですね、しかし演劇は偽物だとわかっていても本物だと思って見るものです。
でも逆に、観客は俳優が演技している、その役を演じていると言うことに関しては本物だと思っている訳です。
物語として、僕はケルビンが偽物のハリーを愛することには肯定的です。ケルビンが良いのなら偽物で良いと思います。
頭の中にいるハリーは果たして偽物でしょうか?と言うところですね。

俳優の演技が偽物だとしても、舞台上で表現されていることは僕は偽物だとは思いませんし、観客が感じたモノも偽物だとは思いません。
『俳優が目の前にいること』に関して今回拘ったのは、目の前で偽物を使って本物を作ること、ですかね。
僕達の仕事は最終的にはそう言う事だとも思います。
まぁ本当に濡れるとか、その辺ももちろんありますけど。

舞台美術に関して。
水を使うのは早々に決めていました。ソラリスですから。
まぁ目の前で水をみれるのは演劇くらいでしょう。
小説で想像するよりも、映画で見せられるよりも、演劇で水を見て想像するのが一番面白いんじゃないかな。さすが演劇。

あとは砂。まぁ見たまんま無人島のイメージですよね、そして、孤島のイメージです。頭の中の孤島、頭の中のイメージです。
僕の頭の中で展開されているソラリスとも言えるかも知れません。
シーンによっては、ケルビンやスナウト達の頭の中に見えると良いなとも考えていました。

あとアクリル板。完全に水族館ですね。猿山芝居ならぬペンギン芝居ってとこですかね。偽物っぽい感じと本物っぽい感じがある。

ちなみに、今回は春風舎にセットをつくって水張って稽古してました。
贅沢ですね。まぁでもこういう環境で作品は作られるべきだと思います。
こちらにその春風舎での写真もUPされてますのでどうぞ。
しのぶの演劇レビュー

簡単に内容に関して。
冒頭は、恐ろしく長い間があります。
俳優には130秒数えてから台詞、という指示です。
219ループ目にはこういう事もあるでしょう、いや実際はもっと酷いかもしれません。
所信表明みたいなところですかね、これから絶望的な物語が始まります、というところです。
あと全体的に間を多用しています、時間が進まない、退屈な、絶望感。絶対に観客は睡魔と戦うことになるんですけども、それがソラリスの世界だと思っています。タルコフスキーがああしたのもわかる気がします。まぁロシア人は我慢強いってのもあるかも知れませんが。

スナウトが元気だったり水に入ったりするのは、男2が、男1に対してエールや個人的な憤りをぶつけているからです。
この関係は終始続きますが、僕の描きたかったケルビンとスナウトの関係はこういう関係です。

ハリーが登場し、「う~」という意味不明の踊り(?)や、ニコニコ踊り出すのも女1が絶望的状況と戦うために生み出した彼女なりの方法です。
後のシーンで、ケルビンがハリーに、ペットに餌を与えて無かったことを責められるシーンがあります。これは生前のハリーの口癖で、これによりケルビンの心は動き、ハリーを抱きしめます。ここでも意味不明の「う~」がありますが、まぁこれもハリーの生前の癖に見えれば良いなと言うところです。

レムは終始元気ですが、切っ掛けは、水に後ろから落ちたところにあります。
女2に変なスイッチ入っちゃったんでしょうね。
最後の方では、女2が自ら水に落ちますが、水を飲んでしまい、元気どころかむせてしまうんですが、それでも元気にしようとする様が、レムのテキストの切なさ、人類の持つ、理解し得ないモノに対する不安や憤りを表現するには良いな、と思ったわけです。

サルトリウスは、男3が演じていて、彼は台詞を間違えます。それによってグダグダになったり、元気になったりします。
サルトリウスは研究する人類の代表とも言えるので、終るともわからない研究に励む人類の虚無感や希望やらがごちゃ混ぜになった感じですかね。
あとサルトリウスの「この世界は偽物でみんな自分を騙すために芝居している」という世界は正にこの世界ともいえるかもしれません。
自ら台詞を言うタイミングを間違えちゃいます。
ちなみにこのサルトリウスに父親が出てくるというエピソードは原作にも映画にも出てきません。
デスロック版オリジナルの設定です。

『愛してる』のシーンは、絶望的状況にあっても、やっぱり愛してると言われるのは嬉しいという感じです。
女1は、このループに疲弊してますが、やっぱ愛してると言われると嬉しかったようで、大喜びでセットも水にぶち込み大の字に寝てしまいます。
ケルビン役の男1は疲れてるけどもセットを元に戻します。
それが、ハリーが頭の中を占めてしまう事に抵抗するケルビンに見えればいいかなと思ってそうしました。

あー、なんか興醒め感がありますが、僕は、ハリーが喜んで、ケルビンが悩んで、というシーンを作りたかっただけなので、繰り返しになりますが、その方法がこうだったと言うだけです。

最後にケルビンがセットを水中に入れます、これもまぁ男1の気まぐれなんですが、ケルビンの頭の中にハリーが現われる、というようにも見えると良いなというシーンですね。

そしてラストですが、スナウト(男2)が出てきます。
スナウトの頭の中に見えても面白いとも思います。
さて彼には何が現われたのでしょうか?
実は、本物の人間は皆靴を履いています。
ハリー、レム、スナウトは裸足で、途中スナウトは靴を履き、俺が本物だからな、と言います。
自分が偽物かも知れない、という事が人間の形で表出した、と言うことは、そうですね、自分が現われたんですね。
そして、今ソラリスに残っているのは偽物。
本物が偽物に殺されてロケットで飛ばされてしまったわけです。
というのが戯曲上の設定。

ラストシーンが、初日から色々変わりましたが、設定は同じです。
スナウトは、自分が本物を殺したかも知れないという設定の世界をソラリスに作られた、かもしれません。
とか、ソラリスが同じ物を何度も作り出すと言うことはこういう感じかも知れませんね。
とか、この人達はループしてるからこんな疲れてんだ、とか。
そんな感じです。他にも色々あるかも知れませんね。

あと今回のミソは照明でしょう、さすが岩城さんです。
素晴らしかった。
基本的には何かが水に触れる度に海が反応します。
ちなみにラスト付近は全く反応しません。
今回の照明は、映画でいくら巧くCGを作るよりも、想像力をかき立て、そしてリアリティのある、正に演劇の魅力を表出してくれたと思っています。
素晴らしかった。
よくよく考えたら、今回だけ見ても、この人が青年団の照明を作り上げた人だとはわからないのかもしれないなぁ。なんだかニヤリとはしてしまう。

そろそろまとめに入ると、恐らく今回はなんだろうか、実験的ではない?みたいな感じ?普通?みたいな感じ?なのかな。
あとSF繋がりで前回と比べられることも多いが、前回はインスパイアもので、今回は原作ものです。
インスパイアものは、元になったモノから感じたこと、前回ならば、どうして人間は知識を持ちたいと思うのか、ということを、演劇として提示する公演で、原作モノは、原作の持つ物を演劇という形態で提示する事を目的としています。
意外と前回と比べられるのですが、今回は原作をいかに忠実にそしてより面白く演劇にするかなので根本から目的が違います。
あとまぁ別に僕は珍しい表現方法や人がやらないことが好きなわけではないので、以前からずっと言い続けてはいるんだけども、単純に自分の好きな演劇をやってるつもりです。まだまだ道は険しい。
ということで今回は「ソラリスの陽のもとに」を演劇化する公演であり、映画よりも演劇の方が面白いとなればいいかなと。
それがかなったかはまぁ観た方にお任せしますが、ソラリスの世界観を借りて、演劇の可能性を広げることができたらなという感じです。
今回の演技形態も特に奇をてらった物でもなく、ソラリスの世界観からきた方法で、基本的に疲れている様に見える身体や水も、ソラリスを表現するためものです。まぁ演出とはそういうモノなんじゃないかなぁというところですかね。

最後に空調問題について。
今回観客に苦しい思いをさせたのは事実なのでもう平謝りです、すいませんでした。
ただ、僕としては作品をよりクリアに伝えたい想いと客席の温度とのバランスをとった結果、が、イマイチ上手くいってなかったと認識していますので、今後も精進します。
先日僕が「?」として挙げたfringeの荻野氏の発言も、現在は訂正されているようで、良かったです。


















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