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12/8
マチネ

終って渋谷へ 
プレゼント交換用プレゼント選び。
決まらず。

ソワレ

打ち上げ。SP6話は見れず。


12/9
楽日、なのに10:30集合。
13:00開演なんてもう二度と嫌だ。

マチネ。
でも今回はマチネの方が出来が良い。
夜は疲れちゃう。やっぱもう1日2回公演は止めようかなぁ。

渋谷へ。プレゼント購入。

ソワレ。

バラして22:30くらいから5階稽古場で打ち上げ。

恒例のプレゼント交換。
今回は俺は装置の濱崎君へ。
ユニクロのフリース部屋着とヒートテックインナーをプレゼント。
そして天明さんから手袋と、韓国語教材CDを頂く。
いやー、楽しいなぁプレゼント交換は。

6時くらいまで呑んで寝る。
お疲れ様でした。

12/10
14時くらいまで稽古場で寝続ける。

起きてアゴラ脱出。
チャリでちんたら帰宅。

で、また寝る。

起きて、買い物行って、家で呑む。

で、また寝る。


12/11
起きて、作品解説を書いてたら全部消える。クソ。

キラリふじみへ。ロミジュリ打ち合わせ、終電くらいまで。
美術がスゲー格好良い。なんだこりゃ。

帰宅し、書類作り。
朝まで。


12/12
ちょっと寝て、銀座で面談。

終ってアゴラへ。
夏以来のアゴラ勤務。
給料も半年もらってない。
奇跡的に演劇で食っている、が、さすがにそろそろ限界だなぁ。

デスロック打ち合わせ。
来年も楽しくなりそうだ。



いやー、消えちゃったんだよね、作品解説。
スゲー書く気無くなった。

まぁでも一応。
今回は、戯曲を立ち上げる作業を緻密にやったらああなっただけです。
別に奇をてらったわけでもなく、まぁ毎回そうなんだけども。
むしろ、あの戯曲をあれ以外の演出でやろうという事の方が不思議な気がする。

「五月の桜」というタイトルだし、桜は四月に咲くのが普通って事でもなくて、
北海道は五月だし、九州はもっと早いし、時間なんて人それぞれ違うんだ。
という事が描かれてるとしか思えないです。
ので、家族それぞれの木を立てました。
和希が沖縄にいると思ってる人の木はありません。
和希への思いが木になってるので。

真ん中の木?は桜ですが、まぁ桜はお父さんだなと、んじゃあお墓だろ、ってことでお墓の桜です。
戯曲に出てくる桜はこれ一本。

ちなみに彼らは、動けないワケではなくて、動かないだけで、
母も、姉も、自分の木を育てなきゃいけないから和希の元には行けないし、
むしろ和希に近づくことよりも、和希を思う自分の木の方が大切なのかも知れないし。
工藤はバリアがあるから近づけないし、となると行けるのは一基だけでしょう。
最初の登場でみんな木を持ってくるのは本番後半から足しました。

和希のリアクションというか、あの変なしゃべり方というか、まぁ諸々ルールみたいなのもありました。
お父さんの話は完全に心を閉ざして明るく、一基の話は普通に、等々。

和希 生まれ変わったら木になりたい。
工藤 え?
和希 木になりたい。
工藤 桜?
和希 大きな木。
工藤 どうして?
和希 わかんないけど。自由でしょ。
工藤 自由?
和希 ただそこにあるの。
工藤 え?
和希 なんでもない。
工藤 それ辛くない?
和希 なんで?
工藤 だって、ずーっと一人でそこに立ってるの?
和希 木だからね。
工藤 動けないんだよ。どこにも行けないんだよ。
和希 どこに行くの? どこに行きたいの? 工藤さんは。
工藤 え?
和希 ……。
工藤 生まれ変わっても人間になりたいよ、俺は。
和希 ふーん。
工藤 人間でいようよ。
和希 ……。
工藤 人間でいよう。

という会話がまぁ全てですね。
工藤はどこに行きたかったのか?まぁ和希の側に行きたかったんでしょう。
人間だもの。

そんな和希への姉瑞樹のこんな台詞もあります。

瑞希 あたしたちは生きてるんだよ。あんたもあたしもお母さんも、生きてるの。毎日ご飯だって食べなきゃいけないし、心細くだってなる。でも死んだ人間は二度と生き返らない。わかってる? お父さんは生き返らないんだよ、もう。
和希 わかってるよ、そんなこと。
瑞希 そばにいてくれないんだよ、死んだ人間は。そばにいてくれる人が必要なの、生きてる人間には。あんたにだってわかるでしょ?

とまぁ、そう言う事ですね。
んで、あのラストシーン、この戯曲を現前化するなら、一人で立つ姿と、人に支えてもらう姿をどう見せるかってことになるだろう。

ちなみに、作品見て無くて、この台詞だけ見て、うわ、こんな事普段言わないよ、とか思っちゃう人にこそ、見てほしかったと思います。

特に今回は、こういった普段我々が言わないような綺麗な台詞をいかにクリアに聞かせるか、
良い台詞だと思ってもらうかに重点が置かれていて、俳優には「LOVE」の第一部でやったことを台詞でやってもらっただけなんだけども、
台詞を、コミュニケーションの手段として使う、とまぁ当り前のことですが、実は多くの演劇はそうではないんです。
まぁこのやり方なら、シェイクスピアだろうが三島由紀夫だろうが、現代口語のコミュニケーションを利用て発話することは出来るんじゃないかな。
三条会が、身体性、出来事を通じて台詞を現前するのに対して、やはり我々はコミュニケーションを通じて現前させる、というのが良いんじゃないだろうか。
言葉を受けたり、跳ね返したり、流したり、結構いろいろあるもんです。
まぁデスロック新シリーズへ向けての布石みたいな感じかね。
まぁでも、さすがに今回は三条会に出たのも大いに影響してるとは思います。
戯曲へのアプローチの仕方が全然変わった。

最初の桜のシーンは、まぁサービスってのが一番だけども、
あのシーンとラストの木だけのシーンが、まぁリーディングやるなら俳優は舞台裏であの舞台だけ見せていれば十分だぁなというくらい、この話の全てだと思います。

動かないことに関しては、動かないことは、何もしてないわけではなく、移動しない、誰かとの距離を変えない、とか、色々な事をやっている状態だと思います。
何もせず立ってる、としか見えない人にはクソつまんなかったかも知れないけども、そう言う人は、演劇を観なくても幸せなんじゃないかなぁ。5㎝動くだけで世界が変わるとか、興味ないでしょ。
俳優を使って戯曲を現前化させるのが演劇だと思っているので、目の前で俳優を使うならば、そういう事だと思います。
何も考えずに当然みたいに俳優を動かしたり、歩かせたり、俳優が動く事を当然としてしまうと、それは、日本語を使うのは当然で、一人が一役をやるのが当然で、台詞を戯曲上で話しかけている相手に言うのが当然で、という、表現としてクソにも劣る思考停止したものが出来上がるでしょう。まぁそれがみんなの大好きな演劇なんでしょう。
まぁ今回俳優が動かないのは完全に必然で、1時間以上目の前で人が動かない、と言うことに、何か感じる人と、何も感じない人がいるのは、別にどうでも良いことなんですけどね。
ただ劇場では、劇体験しかできないので、TVが見たい人はTVを見たら良いんだと思います。

まぁまぁ、とりあえず、戯曲を現前化すると言うことを、今までで一番バランス良く出来たとは思います。
にしてもこの戯曲は現代の演出家が演出すれば、大体あんな感じになるんじゃないかな。
俳優を立たせて動かすなと言ってるとしか思えない。
と本番を観て思いました。

まぁ今回はこんなもんで。消えちゃったから手抜きです。FC2を恨んで下さい。
何かあれば聞いて下さい。



















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