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「リア王」「REBIRTHシリーズ」考察


今回の「リア王」はREBIRTHシリーズ最後と言うこともあるので、シリーズとしても振り返ってみることにします。
まぁ観ていただいた方がまた違った角度で楽しんでもらえれば。
簡単に公演毎にも振り返ってみます。

■2008/5 unlock#LAST/REBIRTH#1「WALTZ MACBETH」
これはunlockシリーズ最終作と言うこともあり、unlockシリーズの方法でREBIRTHシリーズの主旨「古典・演劇の再生」を試みた作品。
想像より観客に嫌われたという実感を持っている。
しかし、コミュニケーションによる場の制圧に対してはある程度の感覚は掴めたと思う。
以後、1アイディアでつっぱしる、今回で言えば「椅子取りゲーム」のような方法をメインに使うことはなくなる。unlockシリーズ終了と言うことだろう。

○2008/5「3人いる!」神戸公演演出
○2008/7「ハナノミチ」出演


■2008/9 REBIRTH#2「演劇LOVE ~愛の行方3本立て~」
この公演は、「古典の再生」より「演劇の再生」に重きをおいた作品群。

発情期「HEAR I AM ドン・キホーテがやってくる!」では、今まで懐疑的に扱ってきた演劇の要素を信じること。
蜜月期「ジャックとその主人」では、現段階で本当に信じられる演劇の要素のみを使うこと。
倦怠期「CASTAYA」では、演劇に最大限の懐疑と最大限の信頼を。

といったところが3作品の違いだったと思う。
3作品とも戯曲は使用せず。
舞台上と客席とで体験を作り出す方法の試行が3作品それぞれにあったと思う。手応えもあり。
東京公演休止を決める。

○2008/9「森の奥 」リーディング演出
○2008/11「トランス」演出


■2008/12 REBIRTH#3「その人を知らず」
いよいよ「古典の再生」に踏み込んだ作品。
初の休憩込み3時間という時間との戦い。改めて、時間を操る、という事に意欲的に取り組む。
古典の現前化、に関しては、ある程度の手応え。
ようやく、わかりやすい、という評価を耳にする。「WALTZ MACBETH」からは大きな変化。
おそらくは、「WALTZ~」では、マクベスの戯曲に対する感触が観客には無かったのだと思うし、そういう作りだったと思う。

結果的にだが、前半はアゴラ規模の空間ではかなり有効なものとなり、後半は更に広い空間への希望を持てた。
ただし、それはこれまで有効であったものが効力を無くすと言うことも同時に意識させるものでもあった。

○2009/1 「LOVE」韓国光州公演
「その人~」で感じたものを実感する。広い空間では、何も伝わらない。空間を制圧することは出来ない。だってまず見えないし。聞こえないし。
限られた時間の中で、いや、時間が限られていたからこそ、大げさに、わかりやすく修正した結果、作品としては成功したと思う。自分にとっても驚くほど「嫌な作業」ではなかった。
観客の反応は、韓国版ロミジュリに並ぶ。韓国LOVE。


■2009/3 REBIRTH#4「リア王」
一番この作品の方向を決めたのが、客席。
やろうと思えば「WALTZ~」の様に囲み客席にすることで比較的容易に空間を支配することは出来たのだと思う。
完全に、挑んだ、と言って良いと思う。
光州公演や、稽古でも、案の定今までの方法で場を制することは出来ないとわかる。
結果、舞台上でのコミュニケーション、負荷、等、基本的にデスロックたらしめていたような事は一切棄てることになる。
作り手と観客では、何がデスロックたらしめているかに違いはあると思うけども、作り手としては、ほとんど棄てたという感覚。
その代りに使った手段は、正にREBIRTHシリーズで新たに手にした方法のみ。
戯曲との寄り添い方、客席との関わり方、今回新たに意識したのが、今さらだが、台詞との関わり方。
身体的な負荷、コミュニケーションはほとんど使うことはなかった。
前半は、微妙にその匂いがする気もするが、以前から言えば、舞台上では何も起こっていないと言って良いと思う。全く違う。ただ、台詞を言っているだけ。
しかし、ただ、台詞を言うだけでも、客席との関係に於いては何かが起こすことはできるのだと思う。
これについては後述します。

「リア王」に関しては少し詳しく。
演劇の手触りとしても、リア王の権威の失墜と共に、失墜していくような作りになっていたと思う。
東京デスロック=リア王という構図も、本番を観ていて、あるのかな、とも思った。
戯曲の解釈と構成、現前の仕方としては、ロミジュリ、マクベスと比べると、かなりの違いがあったとも思っている。おそらく財産分与のシーン以外は、戯曲通りの順番で話された台詞はほとんどないだろう。
ほとんどコラージュに近い構成になった。

コーディリア-道化-花嫁等は、リア王を知らなければさっぱり意味がわからないとは思う。
エドマンド-落語家も、さっぱり意味がわからないとも思う。
ただ、道化は花嫁衣装を着るべきだし、エドマンドの一人奮闘ぶりは落語家に見えるし、真実を知ったエドガーってあんなでしょ、と思ったというだけ。
ただ、そう作った理由なんて誰にもわからなくて良くて、というのはいつもの話だが、今は、戯曲に書いてあることから忠実に演出を作っていると自分では思っている。
それが伝わるかどうかではなく、作り手が何らかの理由で作ったものを、観客が好き勝手にどう捉えるかということしかあんまり考えていない。

しかし今回一番の反省は、空間との関係に関して、初日はあまり上手くいってなかったこと。
本番を観ていて、これは通用していないな、という感覚はあった。
観客が入って初めてわかることが多かった。
二日目以降は楽日に向けて調整は出来たと思う。
初日は段取りが上手くいかない所も多く、よくわからないままに終ってしまったシーンもいくつかあったが、それはほとんどの演出が決まるのが大抵前日という理由。

二日目以降何を調整したかというと、台詞の言い方、立ち位置、が主。
基本的に今まで必要がないと思っていたことばかり。
まさか立ち位置が致命的な作品をこんなに早く作るとは。

近頃のエントリーで行為について考えていると書いたが、物語を見せるつもりは相変わらず無いし、体験と言うことに重きは相変わらずおいている。
これまでは、「今そこで起きていること」を使ってきたけども、REBIRTHシリーズでは、「今起きていること」にシフトしたのだと思う。
今「リア王」が起きている、という状態を目指したのだと思う。
演劇を上演する事が、僕にとってはそう言う事でしかないと思っています。

「老い」「演歌」等々は、トークでも話したので、まぁ割愛。
老人体験セットも、実際、老人体験をする手段が、我々にはあんなものしかない、というのが現実、今。
若者の歌は、あれくらいちゃんちゃらおかしい、というのが現実。

台詞、についてだが、空間が広くなると台詞を頼らざるをえない、というか、台詞の有効性が強くなる。
のわりには、音響で聞こえない、と言われたが、もっと聞こえないことも以前はあったのだが、今回今までよりそう言われたのは、台詞に頼った作りにしてしまったからなのだと思う。

確かに、台詞は、広い空間を制圧するのには有効。舞台上で何も起きていなくても、観客は安心していられる。
大劇場でそういう傾向になるのも良くわかる、必要なくても空間を制圧するために大きな動きをする必要も良くわかる。
ただ、それが演劇なのだとしたら、一刻も早く滅びてしまえばいいと思う。

キラリでの事についても触れておきます。
「リア王」では、市民の反応は、東京にいたときとあまり変わらないと思います。
30代で「わかりにくい」と言う人もいれば、70代で「最高」と言ってくれる人もいます。
演劇初心者ではない人からは「初心者にはどうなのか」と言われ、演劇初心者には「面白かった」と言われる辺りも、今までと同じです。


■まとめ、今後
長くなったのでまとめ。
REBIRTHシリーズとは、「現前する俳優の身体により、戯曲を現前化させる」「演劇の再生」この二つが主旨です。
「その人~」では前者に特化し、「演劇LOVE」では後者に特化し、「リア王」で、これまで、今後への布石を作ることは、出来たと思っています。まぁ出来たかどうかは自分が決めることなので、そう言う事になってます。
個人的にはかなり充実したシリーズになりました。

さて、REBIRTHできたのか?ということですが、演劇の再生といのは、もしかしたら更に下の世代達が無意識に行っているのかもしれない、とも思っている。

ちょっと脱線するが、久々に世代の話をしよう。
彼らを見ていると、何もないまっさらな地平に生れ、自由に作っている様に感じる。
80年代ダサイとか、静かな演劇新しい、とかそういった感覚ではないだろう。予想だけど。
最近とある雑誌で後ろ向きの冒険家と書かれましたが、その通りだとも思っています。
演劇に対する信頼度は、かなり低い。だから再生しようなんて思うんだろう。
この信頼度の低さ、というのは、おそらく30代の作り手の特徴でもあると思う。
我々は、何には寄り添わないかという選択をし、彼らは何に寄り添うかという選択をしているのではないかと、何となく考えている。

で、REBIRTHシリーズではどうだったかというと、いままで信頼していなかったものに対して、慎重に、違った形で寄り添うことを始めたという実感はある。
REBIRTHシリーズでは、ぶち壊したものを新たに使い始めた、とも結果的には言えるかもしれない。演劇の再生の方向は、全く新しいものを生み出すという行為と、演劇への信頼、という二極の狭間にあるのかもしれない。

話を戻して、「リア王」では、アゴラ規模から中ホールへのシフトというのもあり、この辺りが今後の活動に影響を与えると思います。
恐らくLOVEツアーで、この辺りについては何らかの感触を掴めると思っています。
「LOVE」という最も小さい空間で生れた作品で、全く大きさの違う会場をツアーします。
客席の組み方も全て変える予定なので、全会場で作品は変わるでしょう。
予定ですが、桜美林では広い空間でリトルモア版に近い形で、青森では小空間で新たな形に、そして神戸で大きな空間でのひとつの解答を出せれば、という感じです。

「今そこで起きていること」から「今起きていること」へのシフトも大きな成果だったと思っています。
戯曲から発生した舞台上の行為が、観客にも行為として影響すること。
興味のシフトが出来たことは大きい。

最近発語のメソッドの無さを指摘されることもままありますが、考えて無くもないですが、そんなものに何の価値があるの?と思っているフシはまだまだあります。
楽しく考えられれば考えていこうとは思っています。

新シリーズについては、ツアー、日韓ロミジュリとイレギュラーな公演が続くのでまだ先になりそうです。
完全新作は来年です。
ロミジュリの日本版を新作とするかどうかは考え中。
韓国版と全く同じ演出で作っても、それはそれでやる価値はあるし。
どうするかは、まぁ演出家には決められないというのが現実。

個人的には次回作は二騎の会です、アゴラです。
あの広さにまた帰ってきます。好きな方はどうぞお楽しみに。


















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